『素顔スタイル』…大屋真佐美 販社長④

12月 28, 2011

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、大屋真佐美 販社長です!! 

大屋販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その4回目です。 

   

□大屋真佐美 販社長 

販売会社名…ベティー・ベル

広島県に事務所を構え、活動をされています。

今後、どんな風な女性を目指す?

今後は、もちろんIPSは、もう人生の一部になってるんですけど。

やっぱり、自分が、この数年間、

IPSに出会う前の人生も、私の財産と思えるようになったから。

そこで、学んだこと、経験したこと、気付いたことを、

やっぱり、後に続く人達、出会う人たちに伝えていきたいと。

いいな、と思ったことは、伝えていきたい。

でも、昔の私は、相手が転ぶ前にそれをしようと思ってました。

だけど、転ぶことも含めて、いっぱい経験をして、泣くこともあっていい、

そういうのも全部含めて伝えて、生きて、自分と同じみたいに。

  

やっぱり、キーワードは“変わる”かな。

今だけの自分じゃない自分が、もっと、もっと隠れていて。

まだ、ふたが閉じていて。でも、開けたら、「ええ!」って、こんな私がいてたの!?

こんな俺がいてたのか!? というような人と、それを分かち合いたい。そんな感じ。

それを、IPSを通してね。

  

今、二十歳くらいの代理店の子達がいてるんです。

私が二十歳くらいだった頃と同じような子で、同じような商売をしてて。

その頃の自分の写真を見て、

今の私が、この時の自分に声をかけられるとしたら、「未来は楽しいよ」って。

ホステスの時は、顔はお澄まししているけど、ホントは胃がキリキリしてて、

胃潰瘍になってたり、するんですよね。

でも、未来はホントに楽しいよ、って。こう言ってあげたいというか。

今、ホントに不安に思ってても、お金だけじゃないよ、って。

子供も産めるよ、素敵なパートナーも出てくるよ、って。

私、10代の頃から、いつも思ってたことがあるんですけど。

もし、“10年後の自分を見れる穴”があったとしたら、

「見なかったらよかった」と思うのは絶対にイヤだな、って。

私の10年後が、そんなのだったら、「明日から生きてたくないよ」と思うのは、

絶対に嫌だな、と思って生きてきました。

過去の自分が、今の自分をいつ見ても、「明日は捨てたもんじゃないな」と思って生きてきたから。

「キレイに装っていたい」とかも、いつ、過去の自分が私を覗いてもいいようにしてるんだと思うんです。

「未来の自分、イケてるやん!!」って(笑)。

ふっと、過去の自分が、今の自分を覗き見した時に、「なかなかいいやん!」と思えるように。

  

まさか、人の親になるとは思っていませんでした。

まさか、組織をもって、人の前に立つ、とは思っていなかったから。

全部、1人でやってきたから。

何かを抱えることに不安を感じていました。ファミリーを持つ、とかに。

全部、1人がいい、1人でやる、だったのに。

それがこうやって、家族を持って、

社会的な家族を持つ人生を送れるとは、まったく想像もしていませんでした。

人を使っていても、全くあてにしていなかったり、そんな生き方をしていたのに。

本当は、一番寂しがり屋なのに、人をどこかで拒絶してる。

それは、失うことへの不安からだと思います。

それが、IPSに関わって、ちょっとずつ、ちょっとずつ変わってきているな、って本当に思います。

いつも、「明日、死ぬかもしれない」と、人に言いながら、ホントに私はそう思ってるのかな、って。

どちらかというと、10代、20代の時の方が投げやりに。刹那的。

明日死ぬかもしれない、と思うから、今日、思いっきり使おう、みたいな。

今日、思いっきりハメをはずそう。

だって、明日死ぬかもしれないし、楽しみを置いておいてもしょうがないし、みたいな。

逆に、刹那的な、今日を大事に。明日に期待をしていなかった。

でも今は、明日に凄く期待しているから、一日が、大事に変わってきました。

すごい変化。自分にとったら、すごい変化。

あきらめなくて良かった。38歳で死ぬ、って決めてましたから。

自殺とかじゃないですよ(笑)。

母親が38歳で亡くなっているから。

親の年齢を超えると、その先が想像できないんですよね。

でも38歳を超えた時、「あれ、私、まだまだ生きるかも」と思ったかな。

丁度、それを思ったのが、38歳。IPSに出会ったのも38歳。

私にしたら、38歳が人生の大きな転機の年ですね。

  

もし、母親が死んでいなかったら。

もし、あの人に出会っていなかったら。

もし、あんな悔しい思いをしていなかったら。

もし、あの人が言ってくれなかったら。

やっぱり、全て、人がキッカケで運んでくれてる。

「この人と出会えていなかったら、ああしなかった」ということのオンパレード。

結婚もそう。女の子を1人雇わなかったら、主人に出会っていない、とか。

よく考えたら、そんなことばっかり。

IPSにも出会ってないだろうし。

私のイメージは、IPSがあるから、あと20年は同年代の人より、ちょっと若くいられるかな、と(笑)。

もっと自分を律して、吉永小百合さんみたいに、

“肉は週に1回しか食べない”とか、“1日2キロは泳ぐ”とか。

努力すれば、もっとあるんでしょうけど(笑)。

女性って、

「子供いるように見えませんよね。」

「結婚してるように見えませんよね。」

「おばあちゃんに見えません。」

“見えません”を永遠に欲しいと思うんです。

で、棺桶に入ったら、「死んでるように見えません」っていうところまでね(笑)。

「生きてるみたい」って(笑)。

 

※大屋販社長は、皆さんから、「ベティちゃん!!」の愛称で呼ばれています♪

なぜ、そう呼ばれるようになったのかと伺うと

「髪型と、目の離れ具合から、ベティちゃんに似てる!!」ということで、

呼ばれるようになったそうです♪ 

(やっぱり、似てる!?)

 

※大屋販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

次回の「素顔スタイル」は、2012年1月4日(水)、

兵庫県に事務所を構え活動をされている、畑江眞三子 販社長のご登場です♪

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…大屋真佐美 販社長③

12月 21, 2011

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、大屋真佐美 販社長です!! 

大屋販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その3回目です。 

   

□大屋真佐美 販社長 

販売会社名…ベティー・ベル

広島県に事務所を構え、活動をされています。

何が、結婚をそんなに長く続かせた?

同じことをずっとやっていたら、人間って飽きるでしょ。

子供ができる、というのが大きかったかな。1人できて、また1人できて、で。

でも、IPSに出会っていなかったら、もしかしたら、終わっていたかもしれない。

相手のことをちゃんと見ることができなかったかも。

結婚して何十年です、といっても、

ホントは全然相手のことがわかっていない人もいるじゃないですか。

私たちも、たぶんそうだったと思います。

IPSに出会って、

本当に、「愛」なんて放っておいてもおいても継続はしないし、探さないといけない。

愛は、見つけてでも、探して、というような講話を聞いた時から、変わりました。

だから、販社になっています。

  

IPSに出会うまで、15年間、ずっと専業主婦をやっていました。

「こんなんじゃない、私の人生。こんなんじゃない、って。絶対に、何かあるはずだ。」って。

私は“ダイヤモンド”だったもん!! と、悶々としていたり。

昔の、バブルの時が頭をよぎっていたり。なんか、ずっと、悶々としていたと思う。

なんかあるはず、なんかあるはず、って。

  

そんな時、うちのパパの仕事が、本当に、苦しい状態に陥ったの。

それでも、どんなに苦しい時でも、

最低限のものは家に入れてくれたりはしてたんですけど、本当に苦しかったと思います。

これはいよいよ、私も求人広告を見てパートに出ようと。

そうやって、求人広告を見て、面接に行き、

雇ってもらえることになったところの社長さんが、IPSの代理店をしていたんですよ(笑)。

そこで初めて、IPSの商品のことを知って。

そこに入ったのが、転機かな。

それから、IPSのことを知って、IPSの活動をしていくにつれて、

不思議なことに、パパの会社も回り出しだしたのよ。

IPSでの利益を補てんした、とかじゃないのに。

なんか知らないけど、良くなっていた、みたいな。

  

多くの世の中の人がそうだと思うんですけど、多くのご主人の人は、

自分で働いているのに、おこずかいをもらっていると思います。

自分で働いたお金を全部、使えるわけじゃないでしょ。

それで、私のところは、ずっと、パパのおこずかいは3万円だったの。

私もIPSを仕事として取り組んでいる中、

私も、IPSのことに思いっきり時間を使いたい、と思って。

彼の取り分(おこずかい)を増やしたら、私も(気持ち的にも)動きやすくなる、と思ったんです。

でも、3万円が4万円になっても、そんなに大差はないでしょ?

それで「よし!! 10万円だ!!」と。これは結構、他の人に言っても、驚かれます(笑)。

でも、これが結構、しんどい(笑)。

10万円にします、って言って、来月は無理でした、なんて言えないし。

すごい考えましたけど、

「パパ、いつもありがとう。今月から、これ、おこずかい。」って、10万円。

パパも「お!?」って思うでしょ。

でも、それをやりだしてから、

私、本当に、パパのおこずかいを捻出するために、一生懸命、働いたし(笑)。

もう、3には戻せない! 10って言ったもん!って(笑)。

大勝負に出て、やっぱりエンジンがかかるのかな、負荷がかかるから。

そうやって、ちょっとずつ、自分を変えていったのかな。

  

※「ベティちゃん」の愛称で、親しまれている、大屋販社長☆

事務所には、みんなが、ベティちゃんグッズを持ってきてくれるそうです♪

 

次回の「素顔スタイル…大屋販社長④」は、12月28日(水)を予定しています。

次回は、「今後、どのような女性を目指されておられるか」について、お話頂いています。

お楽しみに♪

※大屋販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…大屋真佐美 販社長②

12月 14, 2011

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、大屋真佐美 販社長です!! 

大屋販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その2回目です。 

   

□大屋真佐美 販社長 

販売会社名…ベティー・ベル

広島県に事務所を構え、活動をされています。

貯金の日々の、ある日。

事務机で仕事してる時に、時計を見ながら仕事をしていたんですが、

あと30分でお昼、あと30分で帰れる、とかそんなふうにばかり思って、仕事をしてました。

で、そんな時間を消費するような生活は、もうイヤだ!!と思って。

ある朝、起きたら、仕事に行きたくなくなってしまって。

相当、社会人としては無責任なんですけど。

荷物をまとめて、「ちょっと、リフレッシュしたら、帰ってきます」という手紙を書いて、

一か月ほど、旅に出かけました。携帯もない時代に(笑)。だから、連絡も取れない(笑)。

で、荷物まとめて、さぁ、どこ行こうか、って。

 

昔から行きたかった、岡山県の倉敷にあるホテルに泊まってみよう!!と向かったり。

美観地区で出会った、アクセサリー売りの男女と意気投合して、遊んだり。

次は、いとこが東京にいるから、今度は東京だ!!って、東京に行ったり。

東京では、2週間くらいいました。

それで、街を探索していると、スカウトされたんですよ。

もう、「これだ!! 私の人生で、求めていた転機はこれだ!!」と。

でも、ついて行ったら、面接で、「水着はいける?」「ちょっと、脱げる?」とか言われて。

「これは違うぞ!! これはいけない!! 東京は、やっぱり怖いところや!!」と思って(笑)。

すぐに「無理です!!」って帰りました(笑)。

「楽しいけど、怖い」って、東京で2週間くらい、過ごした時に、

この街は、何か目標があって出てきたら、成功するかもしれないけど、何もなかったら、騙される、と思って。

それで、なにか納得して、広島に帰りました。

  

まだ、19歳の頃でしたね。

無職になって見つけた求人が、広島でちょっと有名な、大きいクラブのクローク。

時給1200円!! すぐに面接に行きました(笑)。

それから、クロークで働いていたら、お客さんがすごく多くなって。

フロアの方がとにかく忙しいから、ドリンクを作ってくれるだけでいいからと、

クロークの格好の私が、フロアに呼ばれたんですね。

ホステスの人は、みんな、花嫁さんのようなキレイなドレスを着ていて。

そんな中に、私が、補助席みたいなところに「失礼しま~す」と言って座って(笑)。

で、寿司屋でバイトもしていたから、飲み物くらいは簡単にわかるのね。作れるし。

そうしたら、結構、お客さんとか、そういう方たちって、“こなれたホステス”というようよりも、

「若いなぁ。受付かぁ。」とか言って、私らみたいなのが、面白いみたいなんですよね、

なんか、こう、つつきやすい、というか(笑)。

重宝がられて、次の日から、お客さんから「フロントの子、呼んでくれ。」とかね(笑)。

クロークで入ったのに、1週間後には、ホステスになってました(笑)。

私、服も、お金もないです。何もないです、って、店長に言ったら、

服は、店から全部レンタルするから、とか。時給3000円とかね。やります!って(笑)。

  

最初は、よく分からなかったから、「頑張りますぅ」とか言っていたんですよ。

でも、私の母親が元々、そういう商売をして、見て育ったせいか、

やっぱり、カエルの子はカエル。これは天職やと思って(笑)。

それから毎日が楽しくてしょうがなくて。好きなお酒を飲んで、しゃべって、楽しくやって。

ご飯を食べさせてもらって。時給も、どんどん上がっていって(笑)。

(ロングヘアーの、大屋販社長!!)

そこのママがお店を出すから、ということで、若干22歳で小ママになったり。

それから、自分で「独立」したり。

今まで貯めてたお金で、何百万かはあったんですけど、店舗や酒屋との契約や、いろいろあって。

オープンの時は、財布の中に10万円しか持っていなかったんです。

女の子の給料も払わないと駄目、酒屋の支払いもある、でも、これだけしか、今はない。

でも、不安より、「ここから増えていくんだ!」という気持ち。

だから、オープンする前の日に、カウンターに“ほうずり”したのを覚えてる。

「がんばろー、私のお城、ガンバロー。」って(笑)。

  

でも、実際、続けていると、体を壊してくる。飲むし、気を使うし。

自分でやってみたら、「あ、ママもこんなにしんどかったんだな」って、わかってきてね。

そうか、お金は儲かるけど、体壊したら意味もないよな、って。

でも、私、ビルを建てる、という夢があるから。

ビルを建てて、私を引き取ってくれた親を住まわせて、という夢があるから、

まだ、何千万も足らないという感じ。

だから、病院を通いながら、お店に出て、という感じで、頑張っていました。

私が雇っていたお店の子で、16歳くらいから2~3人子供を生んで、離婚して、という子がいて。

で、その子の元旦那が、別れた後にどんなところで働いているのかと、気になると。

変なところだったら、すぐに辞めさせたいから、ちょっとそこに行きたいから、って、

元旦那が、私のお店に来たのよ。

その時に、一緒について来た元旦那の友達が、私の主人になるのよ(笑)。

私のお店を気にいってくれて、通うようになってくれて。

  

私、体の調子もそんなによくなかったから、毎日、お店に入る前に、

栄養ドリンクをキュっと飲んで、仕事に入る、というのをしていたんです。

それを主人が覚えていてくれて、毎日、つなぎを着て、自転車で、ビルの1階まで、

栄養ドリンクを持ってきてくれるのよ。

「今日もありがとう。」って言って、その栄養ドリンクをキュって飲んで、仕事頑張る~、みたいな(笑)。

  

それから、いろいろとあって、交際が始まって。

「結婚したい」と言ってくれて。

私も、体がぼろぼろで、毎日、病院に通って、仕事にいく、という、何かすごい疲れてて。

結婚もいいかな、と思って。それで結婚、家庭に入りました。

  

でも、家庭を持ったら、ちょっとずつ、偉そうになってきて。主人が(笑)。

わがままが出てきたり、喧嘩もしたり。

でも、主人が、「夫婦って、こうやって、いろんなこと、わからなかったことをわかって、

こうやって夫婦になっていくんじゃないのかな」って言ったのよね。

そんなもんなのかなぁ、って。

私は、結婚に、夢も希望もなかったのよね。自分の親がそうだったから。

別に、とっかえて、ひっかえればいいと思っていたから。

そんな、1人の人と、ずっと添い遂げる、なんて、想像もできていなかったのに。

まぁ、そうやっているうちに夫婦になって、23年です。

一番、長く続いてる、人生で(笑)。

  

※大屋販社長の取材時に、話題が“心理テスト”に♪

大屋販社長が以前に受けた心理テストの結果は、

「“自分がそう思ってる、

他人からそう思われている”と思っている動物が、“ウサギ”さん。」

「実際に、他人から思われている動物は、“熊”さん」だったそうです☆

大屋販社長も、「えぇ!!」って、驚かれたそうです(笑)。 

 

次回の「素顔スタイル…大屋販社長③」は、12月21日(水)を予定しています。

次回は、「大屋販社長と、IPSとの出会い」について、お話頂いています。お楽しみに♪

※大屋販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…大屋真佐美 販社長①

12月 7, 2011

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、大屋真佐美 販社長です!! 

大屋販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その1回目です。 

   

□大屋真佐美 販社長 

販売会社名…ベティー・ベル

広島県に事務所を構え、活動をされています。

関西生まれで、一人っ子。  

両親は共に、広島の人で、母親は、キャバレーのNo.1ホステスでした(というのが父の自慢)。

父親も、クラブを経営していたり。そこで、二人は、若い時に出会っていたみたいで。

それから、「一旗あげたい!」という思いで、大阪に出てきたみたいでした。

私を産む時には、また、いろいろあったみたいでしたが、

私が生まれてきたら、溺愛されて、甘やかされて育ちました。

もう、小さいときは、「もう、マミは私のダイヤモンドや」ってね。

もう、こんな足の長いキレイな子は、他におらん、って(笑)。

(小学生4で、現実を知りました:泣)

  

でも、父親がアルコール中毒で遊び人だったから、母親は別れたかったみたい。

それで離婚して、私は母親と一緒に。

その後、母親が8つ年下の男性と再婚したんだけど、私が中2の時に、母親が亡くなって。

その時、義父は31才。

いろいろあって、私は広島の親戚の家に養子縁組でいくことになり、義父とは別れることに。

その後、義父も再婚して、子供にも恵まれて。

子供の名前には、私の名前から1字取ってつけてくれたらしくて。

ホントに、幸せになってほしいと思っています。

それで、まぁ、広島に来たわけです。

関西から引っ越してきて、それまでは、ちゃんと真面目にしていたんですよ。

転校日の前の晩に、「はじめまして。キハラマサミです」って、標準語で話をする練習までしてね。

それが当日、「はじめまして。大阪から来ました」って話したら、もう関西弁(笑)。

「わぁ!」って、皆から笑われて。「これはアカン!もうしゃべりたくない!!」って思ってしまって。

それで、休み時間になると他のクラスの子たちも見てきて、私が動物園の猿みたいになって。

また、私の前の学校の、

普通の規定のカバン(サラリーマンの集金バックのような薄いバック)が、

広島では不良が持つようなカバンだったらしく。

それで、完璧に「大阪から不良が来た!!」ということになってしまって(笑)。

下校途中に、上級生に「アンタじゃろ?」「生意気じゃ!!」とか、

「仁義なき戦い」みたいに因縁をかけられたり、ね。何もしてないのに(笑)。

でも、みんながそうやって見るんなら、そのほうが自分に合ってるのかな、と思って。

それで、そうしているからか、友達はヤンチャなのが、集まって来て。

自分でも知らない間に、祭られるみたいなね。そんな感じみたいになってしまって(笑)。

  

それから、順当に、商業高校に入りました。

でも、「人生を変えたいぜ!」みたいに思って、一か月くらい、家を飛び出して(笑)。

帰ってきたら、高校は私立だから、辞めたかったら、辞めてもらっていい、みたいになっていて。

でも、その時の担任の先生が、古い、力のある先生で、

何十人もの先生の意見を抑えてくれて、

「本当に会心するんだったら、戻してやってくれ」と、言ってくれて。

それから、毎日、補習(笑)。

実は、その頃は、お金を貯めることしか考えていなくて。

家を出たくて。高校の間に、100万円を貯めて、家を出ようと。

高校入学式の日に、お好み焼屋のアルバイトの面接に行ったり。

それからは、通帳を見て、お金が貯まるのがすごい嬉しくて。

月曜から、休まずアルバイトして。

日曜日は、お弁当屋さんに、朝の仕出しから、9時まで。

それから、9時からデート、みたいな(笑)。

そうしたら、人生って、いろんなことがあるでしょ。

その時、二つ上の子と付き合っていて。気持ちは、結婚したい、みたいな感じで。

それで、彼が「車を買う」ってなった時に、頭金を私が出すわって、太っ腹(笑)。

それで計画が狂ってしまって。

  

無事に高校の卒業、就職はできたんですが、少しの間は、まだ家に居ていました。

職場では、家で作ってもらったお弁当を社員の人に500円で売ったりしてました(笑)。

そのお金でパンとコーヒーを200円くらいで買って、余りを貯めて。そんな生活。

美容院もブローをしたら高くなるから、

シャンプーのあと、半濡れ状態でバイクで帰って、自然乾燥のように(笑)。

配属先は、経理課。営業の人が帰って来て、1円単位が合うまで帰れないんですね。

私は、8時半から5時までの募集で入ったのに、

どうして、こんな7時とか8時まで無給で働かないといけないの!?と思って。

これは、もうやってられない、と思って。

18歳で、世の中知らなかったから、普通は上司に言うところ、

人事部長のところに直接行ったんです。

人事部部長のところにツカツカと行って。「経理課のキハラです」って。

そうしたら、「ああ、知ってる知ってる。良く頑張ってくれてるらしいな。

高卒は結構就職難だったから、大変だったろう。よく頑張ってくれてるな。」って

言ってくれたところに、

「8時半から5時までということで入ったんですけど、

私、7時8時まで、無給で働いてます。部署を変えてください。」って言ったんですよ(笑)。

そうしたら、シーンって。まわりの人たちが。先輩のOLの人や、男の人も、シーンって。

「何を言ってるんだ?」という感じで(笑)。

そしたら、次の瞬間、割れんばかりの声で、その人事部長さんが、大笑いされて。

「初めてじゃぁ! よし! 来月から希望のところに変えてやろう!」って(笑)。

  

で、5時に上がれる所に変えてもらって。

で、6時から、寿司屋のバイトに行く(笑)。

とにかく、稼いで、貯めたかったんですね(笑)。

  

※大屋販社長が、最近、服装に気をつけていること☆

以前、カラーセミナーを受けた時に言われた言葉が

「身に着けている服は、相手に対するギフトだから」。

気がつけば、販社長のクローゼットの中は、「ほとんどが、黒系統の服」だったそうです…。

でも、全部をいきなりは変えれないので、

少しずつ服装の色合いも変えていこうとされているそうです♪ 

(写真は、懐かしのアルバムを見せて頂いているところ♪)

 

次回の「素顔スタイル…大屋販社長②」は、12月14日(水)を予定しています。

次回は、「“突然”のぶらり旅♪から、新しい職場。そして、ご主人との出会い♪」。

お楽しみに♪

※大屋販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…上柏智広販社長④

10月 26, 2011

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、上柏智広販社長です!! 

上柏販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その4回目です。 

   

□上柏智広販社長 

販売会社名…サナムーン

京都に事務所を構え、活動をされています。

子供は、中学3年生の女の子が1人いてます。

娘が小学校4年生の時から、IPSをしてますね。

だから、家族全員でIPS。

家に、娘がいるときに、IPSの集まりをしたりしていますから。

だから、娘もIPSの考えを聴くわけですよ。

それで、それをもとに、娘が生活をしてみる、とかありますね。

娘は、すごい性格が真面目なんでしょうね。曲がったことが大嫌い。

ですから、娘に「パパ、それ違うよ」って、言われる時もあります(笑)。

代理店時代のことですが、「僕は崖っぷちに立たないといけない」、って家内は思っているから、

「もう、辞めたら?」とか、言うんですね(笑)。

でも、僕は辞めたくない。

それで、喧嘩みたいになると、娘が間に入って、

「パパはこういう性格やから、こういう風にしないといけない」とか、

「その長所がまったく出ていない」とか言ってくれるんですよ。

ちゃんと見て、ちゃんと言ってくれるんですよ(笑)。

だから、今でも「どうしたらいいかな?」って娘に聞きます。

そうしたら「パパは、こうこう、こうやから、これが長所だから」とか、長所を言ってくれるんですね。

で、その長所を出さないといけない、と。

「でも、パパはその長所わかる?」って娘に言われて。

で、そう言われたらわかるんだけどね。

それで、「どうしたらいい?」って聞くと、「そうしたら、こうこう、こうしたらいい」って言ってくれるんですよ。

で、それに基づいて、僕が動く(笑)。

娘から見た、僕の長所は、「癒し」なんですって。

なにか、こう、どっしりとした、温かいものがあるらしい。

癒しにも、いろいろ種類があるらしくてね。

どっしり構えて、もっとこう言葉で、助けてあげることができたり、とか。

そういう癒しなんですって。

「それがわかってる?」って。

だから、絶対に人を傷つけるような言葉を言ったりしたら、絶対にいけない、って言われるんですよ、娘に。大人ですよ(笑)。

娘が2歳の頃、夫婦喧嘩していたら、

娘が、「パパは、ただ、ママのことが好きなだけなの」って。

で、「ママは、ただ、パパのことが好きなだけなの」って。

「ただ、それだけのこと!」って言ってね。

本当に、2歳が言ったんですよ。それで怒られたんですよ(笑)。

それを聞いた時に、そうだな、って。好きだから喧嘩する、って。

それだけ、って言われた時にね。嫌いだから、喧嘩してるわけじゃないんだと。

好きだから、言ったり、言われたりするんだと。それで喧嘩も終わって。

それから、娘に、なにかあった時には、聞くようにしてるんですよ。

 

だから、IPSをやってる時も、うまくいく時うまくいかない時、あるじゃないですか。そんな時は、娘に聞いて。

そしたら、「絶対にIPSは辞めたらいけない」って。

「なぜ?」って聞くと、「今まで、いろんな仕事してきた中で、一番笑顔がいい」って。

「そうかぁ」と思って。娘に支えられて。

だから、一番近くで見てくれているし、

家内も、僕の性格を一番よく知ってくれていて、いろんな場面で、押したり引いたりしてくれます。

僕の手綱を持ってくれている、みたいな。

だから、みんなの力があって、販売会社になれたと思います。

ものすごくいいトライアングルで、一つでもかけたらいけない、ね。良いトライアングル。

だから、ものすごい信用ができる家族、みたいなね。みんな信用してるでしょうけどね(笑)。

だから、家族の言うことが聞ける。

「それはそうだな」って思って動けるということは、なかなか、夫婦ってできないでしょ?

喧嘩してしまったりするから。他人の言葉は聞けるけど、とか。

夫婦のことを理解できるようになることが一番だと思うんです。

一番近くで見てくれてるから。で、悪くなってほしいと思って、見てくれているわけじゃないから。

良くなってほしいと思って、見てくれてるわけだから、厳しい言葉もくると思う。

それをどれだけ受け止められる自分になれるか、だと思う。

夫婦でちゃんと話が聞けたら、誰の話でも、聞けると思います。

他人の意見だと、結構聞けるんですよね。

一番近い、家族の意見というのは、カチン!と来てしまうから。

だから、家族の話が聞けたら、誰の話でも聞けると思うんです。

それは、IPSをやってからですね。IPSをやって、叱られるとか、怒られてるのは、愛情が深いからだ、と。

その人のことを思って、言ってくれているんだ、とかね。

そういう話を聞いてから、「そりゃ、そうだな」と。

だから、家族で、奥さんの話をちゃんと聞けたり、とか、家族で夫婦で会話ができる、ということが、まず1番良いことだと思います。

1人では生きていけないし、家族がいるから、生きていけるんだし。

そこを1番大事にしてもらいたいと思います。

 

※上柏販社長の、この日のコーディネート!!

ベストが決まっています☆

 

※上柏販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

次週の「素顔スタイル」は、お休みさせて頂きます。

次回、「素顔スタイル」は、11月9日(水)、矢澤優子 販社長のご登場です!

  

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…上柏智広販社長③

10月 19, 2011

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、上柏智広販社長です!! 

上柏販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その3回目です。 

   

□上柏智広販社長 

販売会社名…サナムーン

京都に事務所を構え、活動をされています。

趣味は、今、野球チームを作ってやっています。

去年の1月か、2月くらいから発足。1年半くらいは経ちましたね。

チーム名は、サン&ムーン。

強さは、豆級くらいかな(笑)。

僕は一応、ピッチャーやったりとか、内野を守ったりとか、でてます。

あと、監督。オールマイティーにやってます(笑)。

試合は、月2回のペースではしてるんですが、球場がとれない時はなかったりとか。

野球は、見るのが好き。

野球をしていたのは小学校の時だけでしたが、その時は、セカンドを守ってました。

中学・高校と、野球は全然やっていなかったんだけど。

 

野球チームを作ろうと思ったキッカケ。

WBC(ワールドベースボールクラシック)で、イチローが最後、ヒットを打ったでしょ?

イチローが出て、不振が続いたけど、最後の最後に、イチローが出て、いいところを持って行った。

で、優勝して、世界1になった、というのが。

あれを見た時、僕、初めて野球で涙を流したんですよ。

イチローが打った瞬間に。

イチローも不振が続いたけど、原監督も、ずっと、イチローを出し続けていたでしょ。

その信頼感というか。

で、イチローもそれに応えて、最後にヒットを打って。

で、一番いいところをもっていったでしょ。

ものすごく感動して、涙がでたんですよ。初めて、野球で泣きました。

それで、イチロー1人が凄かったから勝てたわけじゃない、と。

皆がイチローを信じて、イチローの前の打者も、ちゃんとイチローにつないで、イチローさんお願いします、って。

もう、あの繋ぎがなかったら、イチローもヒーローになれなかった。

みんなが一つになって、勝てた試合だったと思うんです。

IPSをやっていて、僕らのグループも、これがなかったら駄目だ、と。

1人の力じゃないし、みんなの力で優勝できるようになりたいと思って。

そういうのって、どうしても個人プレーになるじゃないですか、仕事をしていたら。

個人プレーになるから、自分1人で頑張る、ということが多い。

人に繋いだりとか、人に任せたりとか。任すけど、100%信じてくれていない、とか。

そういうことがあるから、一回これは野球でやってみようと思ったんです。

それで、チームを作ろうと思って。

みんなの連携プレーとか、人に繋いで、人を信じる。

それで、駄目でも、人を信じられることを体で覚えてほしいと思ったから。

野球をやってて、すごく伸び伸びしてる子もいるし、仕事とは全然ちがう子もいるからね。

それが本来の自分なんだろうなぁ、と思って。

そういう風に、自分を表現できる場所を作っていきたいな、と思って、野球チームを作ったんですよ。

 

チームプレーって、なかなかできないですからね。

野球チームを作ると、仕事じゃないことも、いろいろしないといけないから。

連絡網を作ったり、だれかに連絡したりとか。

もう、いっぱい、いろんなことが見えてきます。

責任感が強い弱い、というのも、すごく見えてきますよ。遊ぶことで。

必ず遅れて来る子とかね(笑)。基準がそれだから、仕事もそうなってる(笑)。

そこを改善しないと駄目だよね、とか、全部繋がってる。

だから、スポーツって、ほんと凄いな、って思います。

 

※上柏販社長の携帯ストラップは、野球チームのユニフォームデザインのストラップ!!

上柏販社長の背番号は、イチロー選手と同じ「51」。

「イチロー選手が好きだから」とのこと♪

 

次回の「素顔スタイル…上柏智広販社長④」は、10月26日(水)を予定しています。

次回は、上柏販社長が大切にされている「家族」について。

上柏販社長と、そのご家族との間には、どんなやりとりがあるのでしょうか? お楽しみに!!

※上柏販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…上柏智広販社長②

10月 12, 2011

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、上柏智広販社長です!! 

上柏販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その2回目です。 

   

□上柏智広販社長 

販売会社名…サナムーン

京都に事務所を構え、活動をされています。

高校を卒業して、一番最初に就職したのが家電製品の製造会社。

そこで、半導体を作る仕事をしていました。

でも、半導体を作っていて、それじゃ、40歳、50歳になった時に、

自分に何が残るのかな、と思って。

何か、自分に誇れるものがあるのかな?と。

家内は、エステを自宅でやっていたんですが、人間的にもすごいな、と思っていて。

僕も、そんな風になれたらな、と思って、33歳の時に、会社を辞めたんです。

 

でも、辞めてから、自分は何もできない、と思ったわけです。

でも、仕事を探さないといけない、家族もいましたし。

それで、家内がクイックマッサージの求人チラシを見つけてきて。

僕はマッサージの経験とか何もないんですが、その世界に入ったんです。

何も経験がなかったんですけど、働かないといけないですから、

1週間で、ボディとかヘッドとか、リフレクソロジーとか、ハンドマッサージとか、

全部覚えて、現場に入りました。

ちょうどその頃、リラクゼーションが普及した時期に縁して、

次の月には店長に、そして、3ヶ月後にはマネージャーになっていました。

その3ヶ月後には、関西のエリアマネージャーに。

運が良い、というか、超スピーディでしょ。

そして、クイックマッサージで3年くらい働いて。

それから、お客さんに触れていると、治療をやってみたい、と思っていた時、

今度は、家内が「整骨院の求人があるから、行ってみたら?」と。

行ったら、マッサージの経験もあるし、ということで、即受かりました(笑)。

結果、整骨院で3年くらい、働きましたね。

家内との出会いは、僕が30歳の時かな、もうちょっと前かな。

もう、劇的な出逢いでした。

会って、3回目で、結婚しようと思いましたから。

この人が好きとか、そういうレベルじゃなかったですからね。

よく言うのは、空気が良かった。持ってる空気が。

顔が好きだから、とか、そういう好きとは、そういうレベルではなかったと思います。

空気感が良かった。いっしょにいる時の、その時に出てる空気感。

すごい、こう、今まで感じたことがないような、優しいものがあって。

そこにいると、自分が安心する、というか。

会って、こんなの言うとなんですけど、女神様みたいな感じ。

こう、上から光が差し込んでくるような感覚でした、本当に(笑)。

だから、次に会った時には、絶対にプロポーズしようと、決めていたんです。

自分の中で、もう、こんな人はいない、と思って。

家内との喧嘩は、最近はしないですね。昔はしてましたよ、普通に。

でも、IPSを、販売会社をしてからは、ほとんど喧嘩はしないですね。

IPSを家族でやってるから、いろんなことを話したりはする。

やっぱり、こう、考え方を教えてもらってるから、そこを聞いてあげることができたり、とか。

「例えば、こういう風になった時は、どう思う?」って。

こういう話し方ができるんです。

本当に、喧嘩はしなくなりました。

良くなる為の会話はしますけど、そのことに対して、“パーン!”と言ってしまうことはなくなりましたね。

ホント、その考え方は大きいな、と思いましたね。

 

※33歳の頃と、現在(44歳)の上柏販社長自身との、ツーショット!!

お二人とも、お若い!!

 

次回の「素顔スタイル…上柏智広販社長③」は、10月19日(水)を予定しています。

次回は、上柏販社長が趣味でされている“野球チーム”について。

どのような思いで、“野球チーム”を作られたのか? お楽しみに!!

※上柏販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…上柏智広販社長①

10月 5, 2011

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、上柏智広販社長です!! 

上柏販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その1回目です。 

   

□上柏智広販社長 

販売会社名…サナムーン

京都に事務所を構え、活動をされています。

和歌山県の高野山のふもと、

どんどん山を登った山奥で、周りはほとんど山で、家の前は畑。 

少し登ると、自然の湧水から流れ出た谷川。

見渡すと、小さく2軒くらいの家が見えるだけ。

そんな田舎で、僕は高校の時まで、暮らしていました。

 

僕が中学2年の時、父親が脳梗塞で倒れて、寝たきりになってしまいました。

それからは、母親が1人で僕たち兄弟、男3人を育ててくれました。

だから、僕の家は、とても貧しかったです。

その頃、すぐに一番上の兄貴は社会に出る年になり、

真ん中の兄貴は、高校を中退して、家を出てしまって。

残されたのは、僕だけでした。

それから、母親と2人、農業をしながら、学校へ行き、新聞配達もしました。

新聞配達は、一軒一軒の家が遠くて、30軒の家をまわるのに、軽く4時間かかっていました(笑)。

今思うと、すごいねぇ。

若い頃から、ずっと仕事。働いてきたので、仕事をすることは、当たり前。

「環境」ってすごいと思います。

「貧しい」っていうことよりも、僕の家では、生きていくために働くことが当たり前だったので。

「環境」が、働いて生活をしていくという事を僕の中で、普通・当たり前のことにしてくれました。

「環境」というと、僕の田舎は、外来魚が一切入ってこないようなところでした。

だから、ブラックバスも見たことがなかったし、牛ガエルも見たことがなかったし、

アメリカザリガニも見たことがなかったです。

イワナとか、ドジョウとか、ホタルとかはいました。

川へ行くと、ホタルは、周りが明るくなるほどの数!

だけど、それも当たり前だったわけです。

家の玄関近くまで、ホタルが来るほどでした。

でも、ここ(京都)に来ると、車でみんながそろって見に来る(笑)。

それが、はじめはビックリでした。

それに、故郷では、あんなに山盛り、鍋で出てきた山菜・ワラビ・ゼンマイが、

京都の高級料理には、“飾り”のように盛りつけられて出てくる。

 

秋には、松茸も普通に獲れましたし、山には、山ユリが咲いたりと、自然の四季の匂いがありました。

空を見れば、次の日の天気がわかりましたし、

月明かりだけで、夜道は歩けました。

 

こんな話をすると、その時だけは、娘も家内も、僕の話を真剣な顔をして聞いてくれます(笑)。

 

※上柏販社の、最近のお気に入りの音楽は、「Superfly」。

元気の出る音楽、心に染みるような音楽が、好きなんだそうです。

 

次回の「素顔スタイル…上柏智広販社長②」は、「運命の出会い!?」についてです。

次回は10月12日(水)を予定しています。 お楽しみに!!

※上柏販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…中井敬子販社長④

9月 28, 2011

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、中井敬子販社長です!! 

中井販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その4回目です。 

   

□中井敬子販社長 

販売会社名…有限会社ビクトリ・ルージュ

奈良に事務所を構え、活動をされています。 

IPSと出会って、販社になって。

その前の人生と、ゴロ!!っと変わりました。

「見つけた!!」みたいな感じでした。

見つける為に、今まで生きてきた感じしますね。

何を見つけたか、というと、“自分の生きる道”かな。

ただ、生きているだけだったら、ただ呼吸しているだけだったら、イヤと思いました。

ただ生きるために働くのもイヤだし。

 

母親から言われるのは、“お金も何もない時”でも、

“ずっと、旅行に連れて行ってくれたりとか、親孝行をやってくれていた”ということ。

今も、昔も、何も変わっていない、って。

それは、IPSを買うキッカケになったのも、実は親なんです。

「親に使ってあげたい」ということを思ったことから始まったんです。

今でも、なんでもそうかもしれない。

「まず親に」というところ。

たぶんそれで、自分が満たされているんだと思うんです。

“親孝行”というよりかは、自分が満たされてるいるんだと。

今から目指すものは…。

50代をどう過ごすかな、って。

50代、良い年齢になったな、って思っています。

“年齢で、若すぎる”ということではないので、なにか説得力もありますし。

若かったら、キレイで当たり前もあるけど、

やっぱり、50代、今年の12月で50になるから、すごい説得力があるだろうな、って。

50代はやっぱり、淑女でいたいな、とか。

ホントに、IPSの“I”(Intelligence)にあるように、「知性を磨いていきたい」と思います。

知識だけだと、うんちくが多い女とか、物知りとかになるけど、

経験も積んできているから、経験が磨いてくれるから、知識が知性になるんだな、と。

今やっと、10年11年経って、

やっと「知性・哲学・科学が融合したところに、真の美しさがある」

というのを受取りました、というような感じです。

「50って、いいなぁ!」って。

ホント、昔でしたら、もう、“おばあさん”でしょ!?(笑)。

でも、ところが、ところが。ずっと、気持ちは“放課後”な感じかな。

母親は、「70代になったら、70代になったで、結構いいよ」と言うんですけど…(笑)。

「まだ早い!!」って。「まだ今を噛みしめさせて!!」って(笑)。

経験を積んだ上で、若くいられる、ってすごくないですか?

この年齢で、IPSに出会って、

来年とか、5年後とか、もっと素敵な女性になりたい!輝いていたい!って思います。

 

※この日の中井販社長のコーディネイト♪

秋を先取りした、ジャケットが素敵です☆

 

※中井販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

次回の「素顔スタイル」は、10月5日(水)、上柏智広 販社長のご登場です!

  

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…中井敬子販社長③

9月 21, 2011

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、中井敬子販社長です!! 

中井販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その3回目です。 

   

□中井敬子販社長 

販売会社名…有限会社ビクトリ・ルージュ

奈良に事務所を構え、活動をされています。 

16歳の時に、駆け落ちをしました。

といっても、相手の家に転がり込んだような感じでしたが。

二十歳までは、相手の両親に育てられた、みたいな感じですね。

今から考えたら、絶対ありえないなのに、その時は、めいっぱい大人と思っていたんだと思います。

二十歳になって、世間がちょっとずつ見えてきた時に、「あれ?」みたいな。

なにか、「このままで人生が終わるのはイヤだな」と思ったのが、24歳くらいの時。

子供は二人。18と22で出産。そして、24の時に、離婚したのかな。

  

ホント、その時に、絶対に他では経験できない8年間を経験させてもらったと思います。

「場を読み取る力」が、ものすごいついたと思います。

相手の家族、親戚が、みんないましたから。

とりあえず、毎日がホームパーティみたいなものでした。

相手の家が、事業で、工務店をされていて。入札とかで、毎日、いろんな人も来て。

何かを言ったら、とにかく人が集まる。

そうしたら、なんていうの、言葉も変わってくるし、他の人の機嫌がいい悪いもわかってくるし、

この場がどういう場、というのもわかってくる。

いつのまにか、嫁が「場」を制していたかもしれないです(笑)。

「お義母さんが次に何をしたい」、「お義父さんが次に何を言う」などが、

すぐにわかるようになったから、次の段取りができるんですね。

  

24の時に、「このままじゃイヤ」と思ったのは。

お義母さんの姿を見た時に、お義父さんだけを待っていて、一日中テレビを見ていて…とか。

なにか、西の山に日が落ちていくのをあと何十年みて、死んでいくんだろう…、みたいな。

キッチリとした家でもあったので、私が友達と遊びにいくのも、ままならない感じ、ということもあったり。

なにか「井の中の蛙」みたいに思えたり…。

それだけではなくて、いろいろなキッカケもあったんですが、とにかくここから出たくなった、と。

結婚をしていた時は、ずっと専業主婦でした。

離婚して、世間に出て、初めて働きました。

「どんな世界が待っているんだろう!?」という気持ちも半分ありました。

でも、いいことばかりじゃなくて、今まで、旦那という傘に守られていたんだ、

ということが、離婚してわかりました。すごい感謝しましたね。

やっぱり、なに不自由なく暮らせていたし。

好きな、絶対乗れないような車にも乗せてもらったりとかしていたし。

でも、自分で出ていったはいいけど、「いやぁ~!!」って、

それからは火の粉がばんばん、自分に当たるみたいな(笑)。

「自分の子供は、自分が守っていかないといけない!!」って。

でも、お金に関しては、養育費もありましたし、働くところもありましたし、母子手当もあったので、

そんなには苦しくはなかったです。

でも、気持ちのほうが、不安でした。毎日が絶望でした。

今、食べることに精一杯で、「どうしょう!? 10年先は、どうしよう!?」と。

そこから、IPSを知るまでには、12年くらいかな。

その間に、いろんな仕事をしました。

それも、わらしべ長者的に、いろんな人が紹介をしてくれました。

「ここで頑張っていたから、こっちにきてみないか?」とか。

結果的には、私が笑っていて、私が元気だと、

人って、こうやって声をかけてくれたり、誘ってくれたりするんだ、というのがわかりました。

暗く生きるのも、明るく生きるもの、同じ道を行くんだったら、明るい道をいこうか、って。 

 

※中井販社長の赤ちゃんの頃のお写真を見せて頂きました!!

おかっぱ頭が、また可愛らしいです♪

 

次回の「素顔スタイル…中井敬子販社長④」は、9月28日(水)を予定しています。 

※中井販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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