『素顔スタイル』…林裕介 販社長①
全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。
その販社長って、どんな方なのでしょうか?
お仕事の話だけでなく、
「こんなところがあったの!?」というような、
販社長の意外な一面を発見したり!?
題して『素顔スタイル』!!
今回は、林裕介 販社長です!!
林販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。
今回は、その1回目です。
□林裕介 販社長
販売会社名…株式会社シリウス
大阪府に事務所を構え、活動をされています。
生まれは、大阪府東大阪市。
両親は共に、奄美大島の出身です。
父親、母親は、元々奄美大島では知り合いだったんですが、
別々に大阪に出てきて。
それで、大阪でまた出会って、そして結婚という流れでした。
かなり、貧乏ではあった様なのですが、そんな中、僕が生まれました。
結婚当時の母親の体は、病気ですごく悪かったんですね。
母親の体が悪かった、その時に僕が生まれたものだからか、
僕もとても病弱な子でした。
例えば、月に40回位、病院に行ったりとか。
朝に行って、また、夜に行ってという感じで。
子どもの頃の思い出と言うと、いつも入院していたり、注射をしているとかで。
だから肩とか、お尻とか、いつも腫れているんですよ。注射をやりすぎて、硬くなって。
硬くなったところを、いつも温シップをして、もんでもらって。
そういう思い出ばっかりですね。
ホント、体が弱い母子で。
生まれてからずっと病弱で、二十歳まで生きられないって、ずっと言われていました。
それで、甘やかされて育って。未だにね、基本は、甘いですね。
病弱なのは、IPSに出会う38歳位までずっと続きました。
二人兄弟で、妹とは4つ違い。妹は、元気です。生まれた時から、元気でね。
4つ離れているんですが、「妹が僕を守ってくれる」みたいな感じです。
僕は体も弱かったし、気持ちも弱かった。甘やかされているから。
近所の子供にいじめられているのを、妹が助けてくれる。
そんな少年時代でした。
その後、大阪府守口市に移って、10歳のときに、枚方市に来ました。
父親は、子供の頃から、空襲で被害を受けたりなどで、
奄美大島でも、生活がもの凄く大変だったみたいなんです。
本当に食べるものもなくて、小学校もロクに行けていない。
父親も、子供ながらに、
食べるもののために働かないといけない、兄弟の面倒を見ないといけない。
小学校もまともに卒業できず、中学校へも行けない。
だから、働くところがなくて、大阪に出てきたみたいです。
本当に大変な苦労をして、それで僕を育ててくれました。
学歴も無くて、働くところもないわけですから、自分で商売を始めて。
いろいろな仕事をしたみたいです。
例えば、鳥取県までトラックに乗ってカニを仕入れに行って、大阪で売りさばくとか。
僕も、中学時代は一緒に鳥取まで行って、一緒にカニを仕入れて、
スーパーの前で売ったりしたことがありましたよ。
父親が、家の中でいつも、お金のことばっかり言っていたことが、
ある意味、すっごく嫌だったんです。
一生懸命に、僕を育ててくれたことなので、今ではとても感謝しているのですが。
その時は、もっと「夢」を持ちたかった。
お金以外の、もっと大切なもの、もっと美しい生き方を求めていた様に思います。
中学生の頃、父親から「お前は将来何になる?」と聞かれた僕は、
「好きな事をやって生きたい。好きな事が出来ないのなら、乞食になる」
と答えたんです。
そうしたら父は、相当ショックを受けたみたいでした。価値観が全く違っていたので。
そんな環境でした。
※林販社長の、最近ハマっていること♪
「新しい美」に出会うこと♪
「バレエ」のDVDに出会ったり、とか。
もともとバレエには興味は無かったんですが、
買ってみたら、すごく美しい世界だな、っと思って。
そういう美しい世界を、今まで知らずに生きて来たのが、すっごくもったいないなって。
新しいオペラのDVDや、お芝居を観たり。
そういう新しい美に出会うのが、すっごく楽しいです♪
次回の「素顔スタイル…林裕介販社長②」は、2月15日(水)予定です。
次回は、大学卒業後の就職活動・お仕事について。
そして、そんな林販社長に立ちはだかるものとは!? 次回もお楽しみに♪
※林販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!
株式会社IPSコスメティックス