『素顔スタイル』…中井敬子販社長③

9月 21, 2011

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、中井敬子販社長です!! 

中井販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その3回目です。 

   

□中井敬子販社長 

販売会社名…有限会社ビクトリ・ルージュ

奈良に事務所を構え、活動をされています。 

16歳の時に、駆け落ちをしました。

といっても、相手の家に転がり込んだような感じでしたが。

二十歳までは、相手の両親に育てられた、みたいな感じですね。

今から考えたら、絶対ありえないなのに、その時は、めいっぱい大人と思っていたんだと思います。

二十歳になって、世間がちょっとずつ見えてきた時に、「あれ?」みたいな。

なにか、「このままで人生が終わるのはイヤだな」と思ったのが、24歳くらいの時。

子供は二人。18と22で出産。そして、24の時に、離婚したのかな。

  

ホント、その時に、絶対に他では経験できない8年間を経験させてもらったと思います。

「場を読み取る力」が、ものすごいついたと思います。

相手の家族、親戚が、みんないましたから。

とりあえず、毎日がホームパーティみたいなものでした。

相手の家が、事業で、工務店をされていて。入札とかで、毎日、いろんな人も来て。

何かを言ったら、とにかく人が集まる。

そうしたら、なんていうの、言葉も変わってくるし、他の人の機嫌がいい悪いもわかってくるし、

この場がどういう場、というのもわかってくる。

いつのまにか、嫁が「場」を制していたかもしれないです(笑)。

「お義母さんが次に何をしたい」、「お義父さんが次に何を言う」などが、

すぐにわかるようになったから、次の段取りができるんですね。

  

24の時に、「このままじゃイヤ」と思ったのは。

お義母さんの姿を見た時に、お義父さんだけを待っていて、一日中テレビを見ていて…とか。

なにか、西の山に日が落ちていくのをあと何十年みて、死んでいくんだろう…、みたいな。

キッチリとした家でもあったので、私が友達と遊びにいくのも、ままならない感じ、ということもあったり。

なにか「井の中の蛙」みたいに思えたり…。

それだけではなくて、いろいろなキッカケもあったんですが、とにかくここから出たくなった、と。

結婚をしていた時は、ずっと専業主婦でした。

離婚して、世間に出て、初めて働きました。

「どんな世界が待っているんだろう!?」という気持ちも半分ありました。

でも、いいことばかりじゃなくて、今まで、旦那という傘に守られていたんだ、

ということが、離婚してわかりました。すごい感謝しましたね。

やっぱり、なに不自由なく暮らせていたし。

好きな、絶対乗れないような車にも乗せてもらったりとかしていたし。

でも、自分で出ていったはいいけど、「いやぁ~!!」って、

それからは火の粉がばんばん、自分に当たるみたいな(笑)。

「自分の子供は、自分が守っていかないといけない!!」って。

でも、お金に関しては、養育費もありましたし、働くところもありましたし、母子手当もあったので、

そんなには苦しくはなかったです。

でも、気持ちのほうが、不安でした。毎日が絶望でした。

今、食べることに精一杯で、「どうしょう!? 10年先は、どうしよう!?」と。

そこから、IPSを知るまでには、12年くらいかな。

その間に、いろんな仕事をしました。

それも、わらしべ長者的に、いろんな人が紹介をしてくれました。

「ここで頑張っていたから、こっちにきてみないか?」とか。

結果的には、私が笑っていて、私が元気だと、

人って、こうやって声をかけてくれたり、誘ってくれたりするんだ、というのがわかりました。

暗く生きるのも、明るく生きるもの、同じ道を行くんだったら、明るい道をいこうか、って。 

 

※中井販社長の赤ちゃんの頃のお写真を見せて頂きました!!

おかっぱ頭が、また可愛らしいです♪

 

次回の「素顔スタイル…中井敬子販社長④」は、9月28日(水)を予定しています。 

※中井販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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