『素顔スタイル』…松平善一 販社長②

3月 14, 2012

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、松平善一 販社長です!! 

松平販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その2回目です。 

   

□松平善一 販社長 

販売会社名…まつだいら

兵庫県に事務所を構え、活動をされています。

高校も、いろんな人に助けられて、助けられて、卒業しました。

高校卒業後は、理容専門学校に入りました。

専門学校も、宿題とか、周りの友人に助けてもらったり。助けられて、助けられての卒業でした。

いつもそう。よく、「お前は運だけで生きてる」って言われていました。

だから、“1人の力で”なんて、とてもじゃないけど、思っていません。

もちろん、IPSもそうです。

  

そして、理容専門学校を卒業したら、昔でいう、丁稚奉公。外のお店・理容室に行きました。

でも、丁稚奉公の時に、夜中に抜け出して、友達の車を借りて、彼女の家に遊びに行って。

その帰りに、居眠り運転で電柱にぶつかってしまって。事故を起こしてしまって、入院。

そんなこともありました。二十歳くらいの時でしたね。

  

その後、また他のお店を探していく中で、たどり着いたのが、大阪の理・美容室。

僕自身、女性の理容の勉強をしたかったんですね。

「理容」でしたら、男性のことしか勉強できないので。

両方の勉強ができるところがないかな、と探していたら、紹介をしてもらう機会があって。

それが大阪の理・美容室でした。

それが21歳の時かな。そこで、女性の髪のカットの仕方などを教えてもらいました。

そこには、25歳くらいまでいました。

  

大阪の理・美容室にいた時に、1枚の写真に出会ったんです。

その1枚の写真が衝撃的だったんです。

これを見た時は、手で“描いた”ものだと思ったんです。

でも、これは“カット”した写真なんですよ。これを見た時に、すごい「カッコイイ!!」と思ったんです。

どうしたら、こんなカットが出来るんだ!?と。これを習いたい!!と思って。

いろいろ調べてみると、このカット技法は日本では学べない、

イギリスの美容学校でないと学べない、ということがわかって。

「じゃ、イギリスに行きます」って(笑)。

でも、「行きたい」と言っても、「英語が話せない」「お金がない」。どうやって行く?

それから行き方や、どれくらいのお金がいるのか等を調べて。

渡英に向けて準備。その時のマスターのご協力のもと、3年計画を立てました。

お金を貯めるのに、マスターが言ってくれたのが、

「お店が終わったあと、お前のお友達を店に連れて来て、お前がカットして、

そのカット代は全部バイト代として渡す」と提案してくれたんです。

それをまた僕が、大阪に住む先輩に、「マスターがこういう話をしてくれたんです」と話したら、

先輩が「客は俺が集めてくる!」と言ってくれて。

「実は、こういう子がいて、お金を貯めてるから、協力してやってくれないか」って、

先輩が、いろんな人に声を掛けていってくれたんです。

それから1人、2人と、来てくれるようになって、最終的には、47人も来てくれて。

そのうちの1人が、のちに嫁になりました(笑)。

両親も含めて、いろんな人に協力をしてもらって。

英会話にも行き、約3年後の25歳の年にイギリスに行きました。

  

本当にポイント、ポイントで重要人物がいてるんです。

あの人がいなかったら、叶えられなかった、とか。いっぱいあります。

そういうことが恵まれている、というか。自分1人じゃ絶対にできない、と思います。

それでも「自分がこうしたい」ということは、発信していましたね。最初はバカにされても(笑)。

  

ロンドンに行ってからは、いろいろまた大変ではありましたね。

会話がネイティブだから、分からない。もう毎日、「もう無理!もう無理!」と思っていました。

でも、空港に見送りの時、総勢20~30人、みんなが来てくれたんです。

「頑張れよ!」って集合写真も撮ってくれて。

また、その写真をロンドンに送ってくれたんですよ。

あの写真がなかったら、帰っていたと思います(笑)。

「帰ってから、なんて言ったらいいの!?」と。

あれだけ苦労して、みんなに協力してもらって行ったはいいが、

「卒業できませんでした」とは言えないです。もう、“支え”はそれだけでした。

そしてロンドンで約9ヶ月を経て、それから、神戸に帰ってきました。

 

※松平販社が社会人になるまでで、一番ハマッたアーティストがおられ、

その方が作った洋服を着て、ロンドンに行かれたそうです♪

  

次回の「素顔スタイル…松平善一販社長③」は、3月21日(水)の予定です。

次回は、松平販社長とIPSとの出会いについて、お話頂いています。お楽しみに♪

※松平販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…松平善一 販社長①

3月 7, 2012

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、松平善一 販社長です!! 

松平販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その1回目です。 

   

□松平善一 販社長 

販売会社名…まつだいら

兵庫県に事務所を構え、活動をされています。

兵庫県の神戸に生まれました。

三人兄弟の真ん中で、上が姉、下が弟。姉とは三つ、弟とは八つ違い。

  

サッカーを小学校1年生の時から、高校の1年生くらいまで、やっていました。

その他には、釣りも好きでした。基本的にアウトドア派で、家にはいなかったです。

帰ってきたら、カバンをほったらかして、遊びに行く。そんな子供でした。

  

でも、実は“人見知り”だったんです。

小学生の時に、“どもり”になってしまって。

それで、話すことが嫌になりました。

ドキドキしたり、先生に当てられると、どもってしまって。

普通の友達とは話せるんですが、大勢の前で話す、となると、どもってしまうんです。

社会人になって、IPSに入った時も、“どもる”のは、まだありました。

自分的なツボがあって、それにハマってしまうと、ダメでした。

周りからは、想像できない、なんて言われますけど、そうでした。

今では普通に話せるようになりましたけど。

  

あと、よく親にも言われたのは、先頭に立って、何か悪いことをする子ではない、と。

誰かが走っていたら、その二番手、三番手をいく。後ろから石を投げるタイプ。

そして、バレたら、逃げろ!って、一番に逃げていくタイプ(笑)。

  

また、あとで出てきますが、IPSと出会うキッカケとなる友人との出会いは、高校1年生。

その友人と、サーフィンに行ったり、深夜俳諧したり。一言で言えば、不良(笑)

その友人と3年間、一緒に学校に行って。

良いも悪いも、長い付き合い。もう、30年くらいだと思います。

両親が「理髪店」を経営していて、僕自身、小さい頃から、「髪を切る」仕事をしようと思っていました。

父親から「この仕事をするんだったら、“一つのことを深く”というよりも、“広く浅く”。

いろんな人が来るから、広く浅くいろんなことをしなさい。」と言われましたので、

スキー、乗馬、アーチェリー、剣道、サッカー、サーフィン、スケートボード、ローラースケート等々、

とにかく、自分がやりたい、というものは、全部やらせてもらいました。

いろいろやってみて、ハマった趣味といえば、「スキー」と「熱帯魚を飼うこと」と、「釣り」です。

  

また、IPSをやって、いろんなことに挑戦しようと思うようになりました。

「こんなの無理!!」「歳だから無理!!」と思っていたことが、今は、何でもやろうと思います。

  

「マラソン」もその一つ。

マラソンなんて、絶対にするタイプではなかったです。

あんなしんどいことをして、何が面白いんだろう?というタイプでしたから。

でも、1人の代理店さんから、「世界が変わりますよ」って言われたんです。

「世界が変わる」なんて言われたらなぁ、って。それで、やりだしました。

まさか僕が、42.195キロを走れるなんて、思わなかったですし。

30分歩くのにも、ヒーヒー言っていたのに。

それが練習し、2キロ走れる、10キロ走れる、と。

気がついたら、42.195キロ走っている、みたいな。まさしく、練習ですね。

世界も、変わって見えました。

走り続けたら、必ずゴールはある、ということが分かりました。

あきらめないで、なんとか最後まで行ったら、見えるんだ!!って。

(マラソンの時に着られたウェア!!)

 

※今は、5月にある「だんじり祭り」に向かって。

その祭りに「鳴り物」というのがあり、「太鼓」がメインなのだそうですが、

松平販社長は、まだ太鼓は叩けないそうです。

その太鼓を叩きたい松平販社長♪ でも、息子さんは叩けるそうで!!

今は、息子さんから、太鼓を教えてもらっているそうです♪

 

写真は昨年の「だんじり祭り」のご様子♪ 詳しくはコチラへ!!

   

次回の「素顔スタイル…松平善一販社長②」は、3月14日(水)の予定です。

次回は、松平販社長が出合った1枚のお写真。

この写真によって、松平販社長に、衝撃が走ります!! お楽しみに♪

※松平販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…林裕介 販社長④

2月 29, 2012

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、林裕介 販社長です!! 

林販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その4回目です。 

   

□林裕介 販社長 

販売会社名…株式会社シリウス

大阪府に事務所を構え、活動をされています。

その後は、父親が事業をしていたんですが、

それを2人でするか、ということになって。

それまで、結構売上あったんですよ。

でも、僕が一緒にするようになってから一週間くらいの間に、

売上が見事に「0」になったんです。

僕のせいじゃないですけど(笑)

なにか、父親がだまされたみたいな感じでね。

ホント、収入が「0」になって。

そこから、一家が路頭に迷う、みたいな悲惨なものでした。

父親が、ノイローゼみたいになってしまうこともあったり。

でも、そこから立ち直って、何とか自分たちで別の事業を始めてみたんです。

土木の事業を、見よう見まねで。

今度は上手く行くかなと思った矢先に、父親が交通事故に遭って、その事業も立ち行かなくなり。

こんな感じで、何をやっても上手く行かず。

今度こそはと思って、お金を借りては新しい事業に投資して、それも失敗して。

そんなことをやっているうちに、あっと言う間に、

僕と父親の名義で、すごい借金になってしまって。

そんな時に、IPSに出会ったんです。

毎日、死ぬことばかりを考えていました。何をやっても失敗するし。

信頼も何もないし、生きる希望なんて全く持てなかった。

 

子供の頃からずっと、「美」を求めて生きて来た様に思います。

「お金の為だけに生きる」のは違うと。

「美を追求して生きたい」のに、「好きなことをやって生きたい」のに、

もうこの世の中、生きて行くのが、つらくてつらくて。

「もういい!やりたい事、好きな事なんか全部捨ててこれから生きてやろう!」

(※IPS大阪支社エントランスにて)

そんな時に、IPSに出会った。

最初は、得体の知れない会社、と思ったのですが、飛び込んでみました。

そうしたら何と、僕が一番求めていた「美」があったんです!!

お金だけを追究するのではなく、生き方だったり、個性を大事にしたり。

驚きでした。

こんなところに、思いもよらないところに、想像を絶する美の世界があった。

すべてが美しい、それが僕にとってのIPSです。

IPSは、本当に、すべてが美しい。

一分でも、一秒でも長く、このIPSというフィールドで、美を追求して、成長を続けたい。

 

※今日の服装のポイント♪

IVY調の服が、わりと好きで♪

たくさんの方に安心してもらえることを、目指しています♪

  

※林販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…林裕介 販社長③

2月 22, 2012

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、林裕介 販社長です!! 

林販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その3回目です。 

   

□林裕介 販社長 

販売会社名…株式会社シリウス

大阪府に事務所を構え、活動をされています。

ビル管理会社に勤めていた時に、結婚をしました。

大学時代に知り合った女性です。

 

付き合っている時には、僕の病気が理由で、

彼女のお父さんに分かれさせられたり、といったこともありながら。

でも、彼女の方から会いに来てくれたり、とかね。

「絶対にあなたじゃないとダメだから」とか言われて。

その彼女に「あなたは、もう生きているだけでいいから。私が養ってあげるから。」って。

それなら、って結婚しました(笑)。

凄いですよね(笑)。

 

その頃、僕の友達の友達が、公認会計士で、

毎月の給料が良いという事を聞いたんですよ。

社会的地位も高くて、とても尊敬される仕事だと。

「それじゃぁ、僕も公認会計士になろう」と思って(笑)。

ものすごく難しい国家試験だけど、やれば出来るだろうと、安易に考えて。

合格しないかも知れないなんてことは、全く考えなかった。

だから仕事を、そこでスパッと辞めて、奥さんに

「悪いけど僕、一年くらい働かないし、学校に通うから」って。

結婚3ヶ月くらいで、会社を辞めたんですよ。

 

その時の収入は「0」。

それでも、住んでいた家は奥さんのお父さんが買ってくれたもので、

家賃もかからないから何とかなるかなと。

彼女を自分の近くに置いておきたかったお父さんが、家を買い与えてくれていたんです。

実は、それが無謀な挑戦をしようと思った原因でもあるんですね。

その時は、とても辛かったんです。

奥さんのお父さんがお金持ちで、僕が、さえないサラリーマンで、というのが。         

新婚初日から、格差婚であることを、強烈に辛く感じることが沢山起こったりして、

自分に全く自信が持てなくなって。

だから、自分に自信を付けるために頑張って、

お父さんを見返してやりたい、とか思ってしまったんです。

体が弱くても、家が貧乏でも、社会的地位だけは、勝ちたいと思って。

何か一つでも、勝てるものが欲しかったんです。

1年間、必死に勉強したのですが、全く、はしにもぼうにも掛からず。

何ともならなくて、ますますひどくなって。

その後は、昼は会計事務所に働きに出ながら、夜に勉強。

そういう生活を、ずっと続けていました。

頭も体も弱いのにね。

 

そういう生活でしたら、とにかく、奥さんのお父さんが偉い、というような。

奥さんも、自分のお父さんが偉い、みたいになって。

僕は、稼ぎが悪くて、合格する見込みのない勉強ばっかりしていて、と。

その内、ケンカが絶えなくなって。

それで、奥さんから「別れて」と言われ。

そういった流れで、「離婚」ということになりました。

3年半くらいの結婚生活でした。

子供が居なかったので、気持ち的にはまだ楽でしたが。

でも、その時はとても辛かったです。

 

その後は、家具の輸入業の会社に勤めたりもしました。

その時で30歳くらい。

でも、その会社も3年半くらいで辞めることになるんですね。

好きな「インテリア」に関係する仕事だったんですけど、方向性が違っていて。

「美しい家具」ではなく、「実用的な家具」の取り扱いだったんですよね。

 

※「美しい家具」が大好きな林販社長。

事務所にも、お洒落な家具はいっぱいです♪

  

 

※今は、再婚もされている林販社長です♪

  

次回の「素顔スタイル…林裕介販社長④」は、2月29日(水)の予定です。

次回は、林販社長が、お父さんと始められた事業について。

そして、IPSとの出会いについて、お話頂いています。お楽しみに♪

※林販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…林裕介 販社長②

2月 15, 2012

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、林裕介 販社長です!! 

林販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その2回目です。 

   

□林裕介 販社長 

販売会社名…株式会社シリウス

大阪府に事務所を構え、活動をされています。

大学を卒業してからは。

大学を卒業した時は、病気で、まともには働けなかったんです。

僕の場合、何かしようとすると、いつも病気に邪魔されていた感じがするんです。

ことごとく、見事なくらい、いつも病気によって夢が壊される。

今から考えると、それが、IPSに導いてくれていたのかな、なんて思うのですが。

 

周りの人は、就職活動をたくさんしていたんですけど、

僕は就職には、全く興味がなくて。

というのも、大学3年生の頃までは、

自分はプロのミュージシャンになるものと思い込んでいましたから。

好きな事をやって生きて行くと、決めていましたし。

だから、勉強も、就職活動も、何もしてなかったです。

部屋にこもって、朝から晩まで作曲していたり。

でも、いよいよ大学4年生になった時に

「ミュージシャンは無理だな、やっぱり才能無いわ」と思って。

そこで、「インテリア」や「建築」といった分野の「美」も大好きだったので、

大学4年生の最後くらいに、自分でインテリアデザイン事務所なんかを

電話帳で調べて、一軒一軒、探して行ったんですね。

「僕、何の資格もなくて、勉強もしてないんですけど、見習いから、雇ってもらえませんか?」って。

「全然、気が弱くないじゃない!」と思われるかも知れませんが、

「やりたいこと」に関してだけは、思い切った行動に出るみたいです。

一軒一軒まわる中で、一社が

「それなら、昼間は現場で働きながら、夜に学校へ行ったらどう?」って言ってくれて。

それで、インテリアデザインの学校に入学金を払い、昼間はそこで働くことになりました。

なので、大学を卒業して直ぐ、そこの会社で働き始めたんですね。

インテリアデザイン学校はまだ始まってなかったんですが、研修の様な形で。

そうすると、すごく忙しくて、寝る暇もなくて、24時間ずっと働いていた感じです。

3時間くらい寝て、また働く、みたいな。

それで、一ヶ月くらいしたら、体を壊してしまって。

すると、もの凄く楽しみにしていた、インテリアデザイン学校の入学式当日に、

病院から電話が掛かって来たんです。

「君、緊急入院」と。「えぇ!!」って。

病院の先生から「君、もうインテリア業界の仕事は無理だから」って。

「インテリア業界は忙しいから、無理だから」って言われ、

インテリアデザイン会社からも「その体では無理だね」となって。

それで、3ヶ月以上入院することになるんです。

学校の入学金も授業料も戻って来ずで。

 

次に就いた仕事が、ビルの管理会社の営業社員でした。

働かないと食べて行けないので、病気を隠して色んな会社の面接を受けて、

やっと雇ってもらえた会社だったんです。

だからそこでは、ホント、頑張ったんですよ。

土日も勝手に働いて。成績もトップになりかけたんです。

そうしたらまた、病院から電話がかかってきて、「君、緊急入院!」って。

「一歩も動くな、死ぬよ!」と。

肝臓の病気でした。

お酒とか、その時は全く飲めなかったんですよ。

でも、肝炎。

病院の先生から「君は一生、ぶらぶら人間だから、一生仕事しちゃダメ」って言われて。

それから、あまり仕事をしなくなってしまいました(笑)。

朝「営業に行ってきます」と言って会社を出て、毎朝、病院に直行。

午前中はずっと病院のベッドで点滴を打って過ごして、

昼からは喫茶店に行って、ずっと本を読む(笑)。

それが、ほぼ毎日。たまに、仕事する。

そんな最低な会社員生活を、4年半くらい続けました。

 

※林販社長の目標は、マラソンで、サブフォー。

朝走る時は、家の近所の河原を、夜走る時は、八幡の山を登る!

大体、毎日10キロ、月間200キロを走ることを目標にされています!!

そんな林販社長は、今年、50歳です!!

昔のお話からは、考えられない、元気でお若い!!

お写真は、昨年、2011年の奈良マラソンを完走された時のもの!!

  

次回の「素顔スタイル…林裕介販社長③」は、2月22日(水)アップ予定です。

次回は、林販社長のご結婚にまつわるお話♪ お楽しみに☆

※写真は、林販社長の事務所のご様子♪

※林販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…林裕介 販社長①

2月 8, 2012

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。

その販社長って、どんな方なのでしょうか?

お仕事の話だけでなく、

「こんなところがあったの!?」というような、

販社長の意外な一面を発見したり!?

題して『素顔スタイル』!!

 

今回は、林裕介 販社長です!!

林販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。

今回は、その1回目です。

 

□林裕介 販社長

販売会社名…株式会社シリウス

大阪府に事務所を構え、活動をされています。

生まれは、大阪府東大阪市。

両親は共に、奄美大島の出身です。

父親、母親は、元々奄美大島では知り合いだったんですが、

別々に大阪に出てきて。

それで、大阪でまた出会って、そして結婚という流れでした。

かなり、貧乏ではあった様なのですが、そんな中、僕が生まれました。

 

結婚当時の母親の体は、病気ですごく悪かったんですね。

母親の体が悪かった、その時に僕が生まれたものだからか、

僕もとても病弱な子でした。

例えば、月に40回位、病院に行ったりとか。

朝に行って、また、夜に行ってという感じで。

子どもの頃の思い出と言うと、いつも入院していたり、注射をしているとかで。

だから肩とか、お尻とか、いつも腫れているんですよ。注射をやりすぎて、硬くなって。

硬くなったところを、いつも温シップをして、もんでもらって。

そういう思い出ばっかりですね。

ホント、体が弱い母子で。

生まれてからずっと病弱で、二十歳まで生きられないって、ずっと言われていました。

それで、甘やかされて育って。未だにね、基本は、甘いですね。

病弱なのは、IPSに出会う38歳位までずっと続きました。

 

二人兄弟で、妹とは4つ違い。妹は、元気です。生まれた時から、元気でね。

4つ離れているんですが、「妹が僕を守ってくれる」みたいな感じです。

僕は体も弱かったし、気持ちも弱かった。甘やかされているから。

近所の子供にいじめられているのを、妹が助けてくれる。

そんな少年時代でした。

その後、大阪府守口市に移って、10歳のときに、枚方市に来ました。

 

父親は、子供の頃から、空襲で被害を受けたりなどで、

奄美大島でも、生活がもの凄く大変だったみたいなんです。

本当に食べるものもなくて、小学校もロクに行けていない。

父親も、子供ながらに、

食べるもののために働かないといけない、兄弟の面倒を見ないといけない。

小学校もまともに卒業できず、中学校へも行けない。

だから、働くところがなくて、大阪に出てきたみたいです。

本当に大変な苦労をして、それで僕を育ててくれました。

学歴も無くて、働くところもないわけですから、自分で商売を始めて。

いろいろな仕事をしたみたいです。

例えば、鳥取県までトラックに乗ってカニを仕入れに行って、大阪で売りさばくとか。

僕も、中学時代は一緒に鳥取まで行って、一緒にカニを仕入れて、

スーパーの前で売ったりしたことがありましたよ。

父親が、家の中でいつも、お金のことばっかり言っていたことが、

ある意味、すっごく嫌だったんです。

一生懸命に、僕を育ててくれたことなので、今ではとても感謝しているのですが。

その時は、もっと「夢」を持ちたかった。

お金以外の、もっと大切なもの、もっと美しい生き方を求めていた様に思います。

中学生の頃、父親から「お前は将来何になる?」と聞かれた僕は、

「好きな事をやって生きたい。好きな事が出来ないのなら、乞食になる」

と答えたんです。

そうしたら父は、相当ショックを受けたみたいでした。価値観が全く違っていたので。

そんな環境でした。

 

※林販社長の、最近ハマっていること♪

「新しい美」に出会うこと♪

「バレエ」のDVDに出会ったり、とか。

もともとバレエには興味は無かったんですが、

買ってみたら、すごく美しい世界だな、っと思って。

そういう美しい世界を、今まで知らずに生きて来たのが、すっごくもったいないなって。

新しいオペラのDVDや、お芝居を観たり。

そういう新しい美に出会うのが、すっごく楽しいです♪

 

次回の「素顔スタイル…林裕介販社長②」は、2月15日(水)予定です。

次回は、大学卒業後の就職活動・お仕事について。

そして、そんな林販社長に立ちはだかるものとは!? 次回もお楽しみに♪

 

※林販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…畑江眞三子 販社長④

1月 25, 2012

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、畑江眞三子 販社長です!! 

畑江販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その4回目です。 

   

□畑江眞三子 販社長 

販売会社名…有限会社リボーン

兵庫県に事務所を構え、活動をされています。

ちょうどそのころ、急に老けてきたような感じで、

外にも出たくないような感じだったんです。

ブティックによくある、大きな鏡に、自分を映すのが、すごいイヤだったんです。

もうおしまいだ、このまま歳を取って行くんだわ、と思っていたんです。

それが、IPSに出会ったときに、なにか「パァ!」っと明るくなったような感じがして。

すごい嬉しいな、と思いました。

それで、実際に、すごい体験をして。

すごい良かったから、また友達にも話すじゃないですか。

そうしたら、みんなも買ってくれて。

でも、私は「仕事」としてしたくなかったから。

「代金を受け取って、商品を渡して」という「仕事」みたいなのをしたくなかったから。

だから、みんなに「代理店」になって、私からじゃなくて、

販社から直接商品を買って、って話をしていました(笑)。

「仕事はしない」ということだったのに、それなのに、

気がつけば、どんどんどんどん、大きくなって(笑)。

(年間パーソナル1位を過去に3回獲得!! 活動のコツ等について)

コツ、というか、絶対的に商品が大好きで、そういう自信が、ゆるぎないものがあります。

だから、あとは、本当に出会った人を、本当に「好きになる」というか。

「どんな人と今日、出会えるのかな」ということをホントに思えるようになりました、心から。

いろんな方がいらっしゃいますが、私に対して「良い・悪い」ということを度外視して、

「その人の良さ」みたいなものを見つけたくなってきました。

以前だと、「わぁ、この人苦手」という人だったら、

そそくさと「そうですねぇ」って、終わっていたんですけど、

最近、それが、“苦手な人”が、すごく面白くなってきて。

「どうしてわからないんだろう」とか、

「この方は、どうしてこんな風な取り方をするんだろう」とか、

そういうことを考えながら、なにか、そういう人が可愛らしく思えてきたり、とか。

そういう感じがします。

(そんな風に思えるようになったキッカケは?)

「数」だと思います。人に会いにいく数。

あと、本当に、売上が悪くなった時に、このままじゃいけない、と思うじゃないですか。

やっぱり自分で、凄く、人を大切にしていないんじゃないかな、

と、気づいた時があったんです。

前は代理店さんで、凄く商品を使っていた人が、

最近、全然使わなくなっても、興味を持たない、って。

それは愛情がないってことだよね、って。

紹介も、やっぱり、楽しかったら紹介してもらえるんですよね。

だから、出会った人と、自分が楽しくなかったら、

紹介はしてもらえないな、と思うんですよね。

だから、そこをやっぱり、大事にしようと思って。

友達になる過程と一緒で、近くに来たから、お茶飲まない?とか。

しばらく会ってないから、食事しよう、とか。電話でちょっと話したりとか。

そういうふうにしているうちに、人って、やっぱりいいなぁ、って思うようになりました。

だって、全然、ぎすぎすしてしゃべっていた人が、親友のようになったりするんですから。

そういう人を、本当に何人も見てきました。

本当に、私の宝だと思います。

※畑江販社長の今年の抱負!!

畑江販社長は、48歳の時の「辰年」の年に販社になられました。

そして、丁度、一周回って、「辰年」の今年60歳の販社長!!

『いろんなことを一通り体験して、ホントに最初の頃のように、ワクワクしています。

ホントに、“花が咲く”年なんじゃないかな、と思ってます。

次の新しい発展の年になるんじゃないかな、と思ってます。

みんなの色が、一緒になって、IPS全体が大きく花開く年になるんじゃないかな、と

ワクワクした気持ちになっています♪』 

 

※畑江販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…畑江眞三子 販社長③

1月 18, 2012

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、畑江眞三子 販社長です!! 

畑江販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その3回目です。 

   

□畑江眞三子 販社長 

販売会社名…有限会社リボーン

兵庫県に事務所を構え、活動をされています。

それから、主人の家で食事はするけど、根掘り葉掘り、いっぱい聞かれて。

付き合ってる人はいるんですか、とか、お父様は何をされてるんですか、とか。

身上調査をされて(笑)。

そこからつきあいが始まった、というか、

気がついたら、周りから固められていた、みたいな感じ(笑)。

それから「仕事を辞めてほしい」みたいな。

でもね、私の実家が、私の行動に対して、すごい厳しかったんです。

電話をしていても、誰と?とか、どこかに出かけるとしても、誰と?とか。

何時に帰ってらっしゃいとか。いちいちうるさくて。

そういうのから、早く逃れたかった、というのもあると思うんです。

それで、主人も、悪い人でもないし、家に行ってみたら、家もちゃんとしてるし。

会社の人だから、心配ないかな、という感じです。

自由になりたくて、結婚した、みたいなね。

でも、結婚したら、全然自由じゃなかった(笑)。

主人は、仕事で忙しいから、ほとんど家にいないじゃないですか。

そのくせに、自分がいるときに、私が出掛けようとすると、ものすごい機嫌が悪い(笑)。

「こうじゃなくちゃいけない」とか、「妻というのはこういうものでしょ」とか。

うるさい父から逃れたのに、今度はうるさい夫に、うゎ~っと思いましたけど(笑)。

「結婚したら、ちゃんとしないといけない」というのが、私の中にも、すごいあったの。

イヤだとはいえない。そういう教育だったんです。

それで、まぁ、我慢するしかしょうがない、と。

子供を育てて、大きくなるまでしょうがない、と。

子供は二人。

上が男の子で、下が女の子。今は36歳と29歳。

主人の仕事の関係で、東京から関西に来ました。

その後、主人は、単身赴任で、いろいろなところに行っていましたから、

ほぼ、母子家庭みたいな感じでしたね。

「子育て」をして、「人に謝る」ということを初めてしました(笑)。

上の男の子の時は、高校生の時は、「殺してやりたい」と思いましたもん(笑)。

男の子だから、ヤンチャだし、もう、悪くて。

何回、学校に謝りに行ったことか。

寿命が縮む思いもしました。

 

それでだいぶ、肝がすわったようで。

今でも、代理店さんにも「大丈夫です。そんなことで!」って。

「うちの子なんてね!」って(笑)

ほんとにもう、反抗期とか、すごかったから。

そんな中、下の子は、知らない間に、大きくなったような感じで。

お兄ちゃんがしていることで、私がオロオロしてるのを見て、

自分がそういうのをしたらかわいそう、と思ってくれたんじゃないかな。

IPSに出会ったのは、40代後半。

気にいった化粧品をまとめて買った後だったので、IPSを紹介された時も、

そんなに別に、という感じだったんですよ。

でも、パタパタと試してもらったら、その効果に驚いて(笑)。

これは、なんなんだろう!?って(笑)。

 

※畑江販社長に聞きました、美貌を保つ秘訣♪2

「人にたくさん会うこと」

私自身、会うことで、キレイじゃないとイヤ、って思います。

また、会わせてくれる人にも、IPSを使ってる人がキレイじゃなかったら、

申し訳なく思いますし。

会わせてくれる人の為にも、キレイにいよう!!という気持ちがまた大切なのかも。 

 

次回の「素顔スタイル」は、2012年1月25日(水)、

畑江販社長の「活動のコツ」、「今年の抱負」といったお話を伺っています。

お楽しみに♪

※畑江販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…畑江眞三子 販社長②

1月 11, 2012

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、畑江眞三子 販社長です!! 

畑江販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その2回目です。 

   

□畑江眞三子 販社長 

販売会社名…有限会社リボーン

兵庫県に事務所を構え、活動をされています。

(前回のお話はこちらへ)

高校・大学とつながっている中学校を受験をして進学しました。東京で。

でも、大学は、他のところに行ってみたいな、と思ったんですけど。

父には、「花嫁学校に行かせよう」みたいな考えもあったと思うんです。

でも、それは絶対にイヤだと思って。

 

学生時代、意外に「科学」が好きでした。

理系ではないんですけど。中学・高校と「科学部」だったんです。

薬学部みたいなところに行ってみたいな、と思っていたんですけど、

父に「そんなに勉強してどうするの?」みたいなことを言われて。

「女の子は、家のこととか、お料理ができないと困るから」とか。

それ、嫌だな、とは思ったんですけど…。

でも、まぁ、勉強しても、薬剤師とかにはなれないのかもなぁ、と思って。

「そういうなら、しょうがないわ」と思って、そのまま、もともとの大学に進みました。

 

大学では、ほとんど勉強もせず、ギターに明け暮れてました(笑)。

クラシカル・ギター部だったんです。クラブで、30人くらい、いたかな。

1年に1回、演奏会があって。バッハ、とか。ビバルディとか。

それに明け暮れて、ほとんど、勉強もせず(笑)。

 

就職は、また父に「嫁入り学校」に行かされそうになったので、それはイヤだと拒否して。

「社会を見たい」と言ったんです。

そうしたら、

「伯父が関係している会社だったら、紹介しよう」と言われたんですけど、それも嫌で。

そんなコネクションでなんてイヤ!って。

コネで入って、「あの子、仕事できない」とか言われたくないじゃない。

だから、それは断って。

そうしたら、就職課の先生が、ちょうど商社がある、って。

それで、受かるかどうかわからなかったんですけど、受けたら、受かって。

でも、初出社日に、その日に、「間違った」と思ったんです。

「私、無理!! 朝早くから、満員電車で…。」とか(笑)。

行ったとたんに、間違ったと思っちゃって。でも、自分で決めたから、ヤダとも言えず。

でも、その頃は、ああいう職業は、華やかな仕事だったので、

楽しかったのは楽しかったんですよ。

課の人が、どこか外国に行って帰ってくる時に、みんなで迎えに行って食事しよう、とか。

チャラチャラチャラチャラ、あちこち行っていました(笑)。

でも、半年くらいで、その会社を辞めました。

いわゆる、社内結婚、寿退社ですね(笑)。

 

主人のことは、よく知らなかったんですよ。

あの頃は、土曜日はお昼までの仕事だったんです。

で、残業か何かで、私が残っていたんです。

その時に、主人に、食事に誘われたんです。「お昼、食べない?」って。

「まぁ、お昼くらい、食べてもいいかな」と思って。

ついて行ったら、東京プリンスかなにかに、車を停めている、と。

そこまで行こう、とか言われて。

それで、東京プリンスで食事するのかな、と思って行ったら、

その車で、主人の家まで連れてかれたの。お昼に。

私が22の時ね。主人は、25くらい。

家に美味しいご飯があるから、おいでよ、とか。

「なんなの、この人!?」って(笑)。

それまでに、面識はあったんですよ。でも、よく知らない人で。

商社なので、いろいろお付き合いはあって。

いろんなグループとかで食べたりする時には、主人も一緒にいる人だったので。

お話したこともあるし。ただ、取引先の人だと思っていて。

「あ、この人、同じ会社の人だったんだ。」ってこの時、知って(笑)。

ほんと、そういうところがあるの。ぼーっとしてる。

自分の興味のないところには、全く眼中にない、みたいなね(笑)。

 

※畑江販社長の最近ハマっていること。

ホットヨガのストレッチ♪

小さい頃(おむつをしていた頃)にも、「バレエ」をされていたそうで。

取材中も、動作の所作に、そんな優雅さが表れていたように思います♪

 

次回の「素顔スタイル」は、2012年1月18日(水)。

次回は、畑江販社長の「ご結婚・子育てにまつわるお話」になります。お楽しみに♪

※畑江販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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『素顔スタイル』…畑江眞三子 販社長①

1月 4, 2012

全国におられるIPSコスメティックスの販売会社。 

その販社長って、どんな方なのでしょうか? 

お仕事の話だけでなく、 

「こんなところがあったの!?」というような、 

販社長の意外な一面を発見したり!? 

題して『素顔スタイル』!! 

   

今回は、畑江眞三子 販社長です!! 

畑江販社長の「素顔スタイル」を4回に分けて、お届けしていきます。 

今回は、その1回目です。 

   

□畑江眞三子 販社長 

販売会社名…有限会社リボーン

兵庫県に事務所を構え、活動をされています。

(取材時が、ちょうどクリスマスシーズンでした♪)

 

生まれは、北海道の札幌。

両親も札幌の人でした。

幼稚園まで札幌にいたのですが、

父の会社の関係で、小学校から東京に来ました。

 

母は、事情があって出産は避けた方がいい、と言われていたらしいのですが、

無理して、私を生んでくれて。

母は入院か、何かしていたと思うんですが、私も小さかったので、記憶がなくて。

私が3~4歳くらいで、亡くなりました。

そういうこともあってか、超過保護に育てられたと思います。

父は、仕事で忙しかったので、

私の身の回りの世話は、知り合いのおばあさんと、お手伝いさんにしてもらって。

私は「寂しい」ということは特になく、“ボーっ”としていましたね(笑)。

そういう環境が「普通」というように思っていたんでしょうね。

まぁ、“かわいそう”と父が思うから、

物は「与えられるだけ、与えられて」という環境で。

すごい過保護でした(笑)。

家には何でもあったので、近所のお友達が、いつも家に来て、遊んでいました。

その時に遊んでいたおもちゃが、たぶん外国のものだと思うんですけど、

電池をいれると動く洗濯機とか、システムキッチンとか。

 

性格的には、「いじめられても、よくわからない」という、

とにかく“ボーっ”としているほうでした(笑)。

体も、丈夫ではなかったです。

小学校の頃は、何か、お人形さんみたいにされていましたね(笑)。

ボーっとしているから、みんなが、ほっとけなくて、いろいろやってくれる。

その頃から、そんな感じでした。

今でも、そうなんですけど。

代理店さんにも言われます。

「畑江さんて、不思議な人ですよね。そばにいると、何かしてあげたくなる。」って(笑)。

やっぱり、「三つ子の魂、百まで」なんでしょうね(笑)。

それで、小学校3年生くらいの時に、なにか、霧が晴れたような感じになって。

それまで、授業を聞いていても、ボーっとしていたのが、

なにかフワーって、晴れた時があって。

「あれ!? なんかわかるかも!?」って。やっと、自我が芽生えたんでしょうか(笑)。

なにか、算数の授業の時に、「あれ!? わかる」みたいなね。

 

IPSの時もそうでしたよ(笑)。

なにか、霧が晴れたような感じでね。

「私、ずっと変なのかな」とか、

人が言うことを「それは違うよねぇ」とか思っていたんですけど。

けど、「言ってはいけない」みたいな。

自分に自信がないから。主張しないんですね、あんまり。

親が言ってることもそうだし、友達が言ってることもそうだし。

それで、結婚してからも、なんとなく、

自分の思いとは違って、生きてきたと思うんです。

「こうじゃなきゃ、いけない」と思って、生きてきたから。

こう、すっきりしないで生きてきたのが、IPSに出会って。

もしかして、私が思っていたことは、間違っていなかったんじゃないの!?って。

それが、50歳になるくらいかな。

目覚めが、遅すぎました(笑)。

 

※畑江販社長に聞きました、美貌を保つ秘訣♪

自分の体のケアをしっかりと意識すること。

お風呂上りに、体の温かいうちに、マッサージだったり、いろいろケアをしたり。

その上で、IPS商品を使って。

「キレイになるぞ!!」って思いを込めて、やり続けること♪

 

次回の「素顔スタイル」は、2012年1月11日(水)。

次回は、畑江販社長の学生時代(畑江販社長の意外な!?部活動などなど)や、

会社勤めの頃のお話になります。お楽しみに♪

畑江販社長の活動のご様子は、「ぱたぱたの小箱」のこちらへ!!

 

株式会社IPSコスメティックス

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